本来の「個性」とは

個性というと、何を想像しますか?

 

奇抜なファッション、目立つ言動など、

何か特異なものと捉える見方もあるようですね。

 

奇抜性や目立つ、に共通しているのは、

反社会的な行動になっていること。

 

私達は、生まれる前から持っている「個性」があります。

ここでは、生まれる前からの個性を、「本来の個性」ということにします。

奇抜性や目立つことは、本来の個性ではありません。

 

奇抜性や目立つこととは逆に、日本では画一的な社会、平均化した個性が

暗黙の「良し」とされていますが、元々全く違う個性を持って生まれた私たちに

平均化、画一化は辛すぎます。そこで反発したくなる気持ちもよくわかります。

 

 

疑いなく当たり前に社会のレールに乗っている方もいます。

この生き方だと、生まれもった個性を知る事が出来ず、

何かをしたいけれど、「何をして良いかわからない」原因になります。

「何をして良いかわからない」お声はよく聞きます。

 

私達は地球に来るまで長い旅路を経て個性を持ってきているのに、

それでは勿体なさすぎます。

 

ということで、

メディアや世間で「個性的」と言う時には、「奇抜さ」や「目立つ」、

社会の常識や枠組みから「はみ出している」のが個性として謳われます。

 

社会の常識や枠組みの中で生きていても、はみ出ても、

いずれも社会の枠組みが大前提で基準です。

そこに本来の個性を見つけることはできません。

 

アデプトプログラム🄬は、

社会の常識や枠組みを超えて、形而上学的な視点を用いて多角的に説明したり、

エネルギー的な伝授によって、元々お持ちの個性を発揮して生きて頂くためにあります。

 

社会の枠組みで、多くの人が苦しそうに生きていらっしゃるのを見てきました。

全ての人に恩恵ある社会、全ての人が活き活きと生きられる社会の枠組みであれば

それが前提で構わないのですが、今日の社会を見ても明らかにズレています。

 

社会の枠組みに乗っかる、はみ出るを全く超えたところに

私たちの生まれ持った個性をそれぞれ見出して、全員が自分を生きたとしたら

喜び溢れる社会が現実のものになるに違いありません。

 

ある日、文章を書かれる方とお話をした時、

その方は小さな時からストーリーが頭に浮かんでは消え

頭に浮かんでは消えしていたことを話してくれました。

私は、小さなころから音楽が頭に流れて、メロディーやリズムや伴奏が頭に浮かんでは消え

頭に浮かんでは消えしていたので、それを話したら、

お互い違った特性を持って生まれてるんだねぇ~、なんて笑い合いました。

 

自分だけの個性、どんどん見つけて発揮していきたいですね^^